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チラ裏
見ない方がいい


司法権とはなにか?
裁判作用との違いはなにか?
裁判作用とは、第三者が紛争を解決すること。
歴史的に見れば人類の歴史と同じくらい古い。
裁判作用の考え方は大陸型と英米型で異なる。
日本は英米型を採用しているので、司法権は裁判作用にほぼ等しい。
では裁判とはなにか?
裁判とは、公正中立な第三者による紛争の裁定・解決のことである。
従って日本における司法権とは法律上の争訟を解決することとなる。
法律上の争訟とは?
簡単に言い換えると、法律の問題・紛争である。
これには二つの条件があり、
一つは法律に関する問題であるということ、
もう一つは解決できる問題であること、である。
この二つを満たすこと問題・紛争を、司法権は扱うこととなる。
従って司法権とは、具体的な争訟について、
法を適用し宣言することによって、これを裁定・解決する作用のことである。
「具体的な」が意味するのは、実際に起こっている、と言うことである。
たぶん起こりそう、と言うだけでは訴えは認められない。
「争訟」が示しているのは、訴えがなければ裁判にはならない、と言うことである。
紛争が存在していることは、事件性の要件と呼ばれる。
この解釈には私権救済型という見方がある。
ここでは、実際に権利侵害が存在していることが重要だと考えられている。
ここで言う私権とは、財産権や人格権などである。
なぜなら、これらの権利は主観的でわかりやすいものであるために、裁判がしやすいからである。
逆に裁判所は、権利侵害がはっきりしないような客観的な訴訟は苦手である。
全然わかんない。
誰か助けて。

ケネス・ウォルツという学者がいる。
彼は国際政治学上でネオリアリズムという新しい見方を提唱したことで有名な人物である。
彼は既存のリアリズムに対し、このような批判をした。
「個人と国家、国家と国際システムなど、次元の違う問題を同列に扱ってはいけない」
従って彼の主張は、主権国家の安全保障を重視する従来のリアリズムと、
根本的なところでは同じである。
では一体彼の主張のどこが「ネオ」なのか?
彼は国際政治を分析する上で三つの視点を考え出した。
一つは個人レベルの見方で、政治家の思想などが当てはまる。
一つは国内レベルの見方で、外交方針や核兵器の有無、同盟の存在などである。
一つは国際レベルの見方で、彼はこれを一番重視した。
近代のウェストファリア体制では、統一的な権力を持った世界政府が存在しない。
従って主権国家たちは、常に無政府状態の中でやりとりを続けている。
だがそのような中でも秩序というものは存在する。
主権国家たちは国際システムを作り出し、その下でやりとりをしようとする。
そして一度作られた国際システムは長い間効力を持ち続ける。
ではその国際システムは一体どのような理論で作り出されるのか?
一つはシステムが原理。
一つはユニットの特性。
一つは力の分布。
だが、冷静に見てみると、力の分布以外は考えなくても良いことがわかる。
なぜなら、主権国家体制は変わらずそのままであって、
システムの原理は定数であると考えられる。
またユニットの特性は、構成単位が全て主権国家であるため、こちらも普遍である。
従って国際システムの理論では力の分布、即ち大国の数が重要となってくる。
具体例を挙げてみる。
第一次世界大戦前の世界では、英仏独露墺の五大国が存在する多極構造であった。
第二次世界大戦後の世界では、アメリカ・ソ連が世界を二分する双極構造であった。
多極構造の世界では、交渉する勢力が多いため、外交的に誤解が生じてしまう。
一方双極構造の世界では、交渉するのは互いに一勢力だけなので誤解が少ない。
第一次世界大戦が些細な誤解から始まったことを考えると、
実は冷戦期の方が大戦争の起こりにくい状態であったということがわかる。
しかしこのようなネオリアリズムの考え方に対する批判も少なくない。
一つがコンストラクティヴィズムという見方である。
これは、ユニットたちが国際システムという秩序を守ろうと考えていることを重要だとしている。
つまり、アイディアや情報などの心理的な面も考慮に入れるのである。
また、ネオリベラリズムという見方もある。
これは、国際システムとユニットとの間には、国連やIMFなどの媒介機関が存在すると考える。
これらの機関はそこまでの力は持たないが、話し合いの場としては重要である。
と言う感じに先生が言ってた。
大学院レベルとか言ってて噴いた。
誰か日本語に翻訳してくれ。

ちょっと前の飲み会の席で。
ある女子グループがある男子のことを嫌っているという話を耳にした。
飲み会にしか顔を出さない俺に隙はなかったが、とりあえず詳しいことを聞いてみることにした。
結論から言えば、女子の意見には賛同できない。
判断材料が少ないから断定はできないが、これは明らかに女子がおかしいと思う。
あの時あのような判断を下したのはてめえらだろうに。
どの面下げてあの時とは違うとか言ってるんだか。
もっと自分の判断には責任を持てよ。
そんなんで組織の運営に支障をきたすようならお話にもならん。
おそらくこの問題こじれるなあ、と。
こういうときの女性って、絶対に自分は悪くないと思い込む節があるし。
根拠もなく思い込んでるのは俺も変わらんけどね。
どうも女子の考え方は苦手だ。
こんな事を思ったけれども、巻き添えは食らいたくないのでふーんと受け流す。
くわばらくわばら。
あとは勝手にやってくれ。

15にして学を志す。
2千年以上も前、孔子はそのように言ったという。
俺はすでに20。
弱冠である。
この年になってようやく俺は学問に向いてないことに気が付いた。
理解はできても知識にならないのである。
いや、それどころか、理解すらできないことも増えてきたように感じる。
大学受験は勉学でどうとでもなった。
授業を聞いていれば理解ができ、復習をすれば知識となり、演習をすれば言葉となったのだ。
だが大学の講義はそうはならなかった。
講義の内容を理解するのはよい。
だが、その理論を自身の手で探し出し、上手く体系化しろと言われると、途方に暮れてしまう。
学問の深さに怖気づいてしまう俺がいる。
なんというか、もう学問するのに飽きた。
自分の限界に気が付いちまったのかな。
競争するのに疲れてしまったのかもしれん。
しかしながら、順調に行けば2年後に人生最大の競争が待っている。
就職とか果てしなくめんどくさい。
働きたくないでござるという言葉の重みに気が付いてしまったのよ。
ああ、働きたくないでござる。

何か資格でもとればいいんじゃないの、と思う奴もいるだろうね。
それは茨の道ですよ。
知り合いに公認会計士を目指して勉強している奴がいるが、話を聞く限りやばい。
まず、大学2年から始めなきゃ間に合わないんだそうだ。
しかも大学の講義はほとんどに出席せず、全てを捨ててようやく何とか、というくらいらしい。
大学生活を捨ててまでよくやるよなあと思ってしまう。
もっとやりたいこととか色々あるじゃん?
講義を聴いて無駄な知識を増やすのは楽しいし。
あとは………


……?

自分自身のやりたい事すらわからないとは、我ながら呆れる。
確かにやりたい事はあるにはある。
山に行きたいし、うまい酒を呑みたいし、VIPに投下もしたい。
新PCを組んだらちょっとやってみたいことがある。
世界史のノートを電子化してみたい気もする。
しかしこれらは、本当に打ち込みたいものであるかと問われると、回答に窮するものばかりである。
今の俺には、大学生活の中心に据えるべきものはあるのだろうか?
自分のやりたいことがわからん。
でも貴重な時間を無駄にしたくはない。
へたれだな俺。
だが、何はともあれ、このまま行くと将来の選択肢が自動的に狭まってしまう。
おそらく決断のリミットはこの夏だろう。
その時までには自身の身の処し方を決めねばならぬ。
大学生活をどのように過ごせるか。
今この時期が山場なんだろうな。










日々を生きるのに精一杯
何も考えずにキーボードを叩くとちょっとは気が楽になる
疲れてるんだなあ
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